いろんなところへ行ったし、バトンでも

DUBJUCE2006-08-06

今日はまず、彼女の舞台を品川まで見に行った。

面子はハヤブサとTK。

結構大きいホールだったから見やすかった。

内容はまあまあ分かりやすかったけど、

登場してくる人の数が多かったなー。

みんな頑張ってた。おつかれさまー。

んで、帰ってきてスタジオ3時間。

入る前に、家の前の公園で盆踊りをやってたからチラ見。

もう東京音頭とかきいたら一気に夏の香りやら哀愁やらがブワァーってきた。

チョー夏。

その後スタジオ。

久しぶりのスタジオだったから、いつもより熱が入ってなかなか面白かった。

そしてその後バンドメンバー全員で海ほたるへ。

深夜だったから海とか全然見えなかったけど、色んな面白さがあって

楽しかった。

帰りにハプニングが多々ありましたが、無事に帰還。

案外ハードスケジュールな一日。

明日も頑張ろう。

よし、バトンでもやるか。

〔次のものそれぞれについて、
自由にそして熱く語ってください!全部でも、いくつかピックアップでもOK☆〕



1 将来の目標・夢
 
 NO  FUTURE



2 好きな人

 いるさ。そりゃあ。付き合ってるから。


3 仕事・勉強
 
 頑張らないとダメ。


4 ミクシィ

 案外面白いかも・・・?


5 乗り物

 車


6 本

 日本


7 映画
  泣ける映画は、本当に泣ける。

8 歌・音楽

 ドラム叩いたりとか。


9 食べ物
 
 「レバー、うに、生臭い魚」あいつらは出禁。


10 旅行

 SUKIです。


11 トラウマ
 
 タイガーホース。しょうもない。


12 ドラえもん

 40mmバルカン砲


13 動物

 風太


14 ファッション

 辛口ファッション
15 不思議・謎

 興味をそそられっぱなしだわ。


16 スポーツ

 マイクタイソン師匠
17 お風呂

 最近スゲーイイにおいのボディーソープ買った。海外のやつ。

結構ご愛用。


18 未来

 みく?


19 ミイラ

 ミイラ、という言葉の語源は何だろうか? −−そんな疑問を持ったことは無いだろうか。
「ミイラというのは、没薬(ミルラ)から来た言葉だ」「いや、実は瀝青(ムンミヤ)から来た言葉だ」、主要なものだけで二つの説がある。
結論から書いておくと、

1・英語の「マミー(mummy)」は、アラビア語の「ムンミヤ(muumiyah)=瀝青」から来ている。
2・日本語の「ミイラ」も、本来、オランダ語の「モミイ=瀝青」を語源とする乾燥遺体を指す。
3・しかし日本ではたまたま、香辛料である「ミルラ」と、乾燥遺体である「ミイラ」の発音が似ていた。
4・よって、世界中で日本だけが、ミルラとミイラを混同し、いつのまにか同じものとして認識するようになってしまった。

本来は瀝青を意味する「ムンミヤ」が語源だったが、日本人は没薬「ミルラ」だと勘違いしてしまった。

現代でもミイラの語源はミルラだと信じている人が多い(ネット上でも大半を占める)が、その解釈は日本でしか通用しない。
とはいえ、誤解の発端は江戸時代なので、とかく何百年も定着している根深いカン違いなのである。

まずは出発点から、順を追って辿ってみよう。


実際にミイラを作った人々――古代エジプト人は、ミイラのことを「サァエフ(サフ)」と、呼んでいたようである。この単語の意味は「高貴なるもの」。祝福された使者が、死後に変化する、永遠を生きる魂としての名前である。

だが、古代エジプト語が死語になり、エジプトでアラビア語が使われるようになるにつれ、「サアエフ」という言葉は消えた。おそらく、ミイラ作りの真意も忘れ去られていったのだろう。

そののち、エジプトの死者たちとは全く関係ないところで、中世アラビアの医師は、ペルシアのダラブジェルト地方の山から取れる、黒い岩塩アスファルト(アラビア語でムンミヤ、またはムミヤ…mummia)を、様々な治療に使用するようになっていた。

時は流れ、12世紀。
ちょうど十字軍の全盛期、キリスト教世界とイスラム教世界が交わり、多くのヨーロッパ人が中東を行き来するようになった頃のことである。
遠征していった人々は、この「ムンミヤ」に触れ、効能を知った。異国で傷ついた騎士が、ユダヤ人医師にムンミヤを処方され、効果絶大として故郷に帰ってから広めた例もあるようだ。

この頃、アラビア語医学書を翻訳する試みが行われていたが、当時は、アラビア語を翻訳する知識を持つ者が殆ど無かった。万能薬とされた「ムンミヤ」の正体を、正確に訳せる者が居なかったのである。
そこへ、12世紀の翻訳家―"クレモナのジェラルド"氏が登場する。博識な彼は、エジプトのミイラに瀝青が使われていたことを読み知っており、ムンミヤを、「人の死体(エジプトミイラ)と、死体に塗られた沈香が化合して出来た物質のこと」と解釈した。

ムンミヤというのは防腐処理を施されたエジプトミイラから取れる物質だという誤解が広まったのは、この時の間違った解釈からであった。ロンドン、パリ、ヴェネツィアなどの薬屋は、こぞって、「ミイラ薬」をアラビアの奇蹟の薬「ムミヤ」だと信じ込んで、売り始めることとなったのである。

…このMumiyaがMummy(ミイラ薬)という言葉に変わり、やがては、エジプトの乾燥死体そのものが「Mummy(マミー)」と、呼ばれるようになった。

【参考文献:ミイラはなぜ魅力的か ヘザー・プリングル 早川書房


言葉の変化

アラビア語…muumiyah(ムーミヤー) 瀝青 ミイラ
 ↓
中期ラテン語…mumia ミイラ 粉末のミイラ
 ↓
中期フランス語…momie
 ↓
中期英語…mummie 薬として使われたミイラの粉末
 ↓
英語…mummy(マミー) ミイラ


だが、この話の経緯から分かるように、エジプトミイラに薬効などない。アラビアの医師が用いた「ムンミヤ」とは違って、自己暗示で「効く」と思い込んで飲む偽薬の類だった。

しかも、エジプトのミイラに防腐剤として瀝青が検出されるのはギリシア・ローマ時代のミイラからで、それ以前はミルラや、クスノキから取れる油、ビャクシンの樹脂…など植物の成分が混じりあったものが、遺体の表面に塗られていた。

古代エジプト」と一口にいっても何千年の歴史があるが、ギリシア・ローマ時代はその中でも末期、「古代王国エジプト」の歴史が、ほとんど終わりかけの時代である。
その時代のでは、庶民も手軽に身内をミイラ化できる葬儀システムと商売体系が作り上げられていたため、ミイラは、共同墓地などに大量に収められていることが多い。そして、あまりに大量なミイラを作るために、高価な樹脂ではなく、代用品の瀝青(アスファルト)が使われるようになったのだ。

防腐剤と言っても体の表面にまんべんなく塗りつけるものなので、本来はアスファルトよりは樹脂が適している。その樹脂の使用を控えたのは、ミイラの作りすぎで、木が育たなくなったか、廉価なミイラを作る必要があったためではないかと、学者は推測している。